今年最後の東北被災地チャリティツァー 4 <遺品のチェロに教えられたこと>
- 2019/12/17
- 17:33
東日本大震災は北から南へ、南から北へ。 どこがどうというよりも、特に沿岸部は繋がって被害を受けたので、線の被害と呼ばれます。
台風19号の被害も甚大な被害でしたが、一つの県の中でも、町によって被害を受けたり無事だったりしているので、点の被害と呼ばれています。
今回<460>で訪れた宮城県の白石蔵王から、大被害を受けた丸森町まで車で約40分。 その町では震災から2ヵ月になるというのに、150人の町民が避難所生活を余儀なくされていると聞き、心が痛みました。
チェロを担いで東北各地を回っていると、被災地の人たちの生の声を聞くことができるのが有難く、貴重な経験となります。
今回の旅では、遺品のチェロについての質問が多かったです。 人から人へ伝わっていく間に、記憶違いなどで真実と変わってしまうことがあるのは致し方のないことなのでしょう。
津波に襲われてボロボロになった洋子さんのチェロを見つけたのは、大船渡市の元小学校長の簡 善三郎さんです。
※ 中央が簡 善三郎さん、右、鳥居はゆきさん。
2012年11月、大船渡市盛小学校で。
※ 右は大船渡で管楽器修理業を営む葛西大志郎さん。 小生は2012年9月に修理が必要な遺品のチェロを譲り受け、同年11月~12月にかけて、札幌で修復したチェロを持って大船渡へ行き、葛西さんと再会しました。
発見されたとき、<ゴミにするしかない>・・ほど壊れていたチェロ。 剝がれた胴体の中に詰まっていた、津波が運んできたヘドロのようなものを取り除き、海水に浸かったチェロを真水で洗って乾燥させ、その後、札幌の弦楽器修理工房で3週間かけて修理の仕上げをしたチェロ。
修復された時、チェロは見た目にはきれいに修理されていて、とても津波に襲われてボロボロになったチェロとは思えませんでした。 発見時、駒は無くなっていたので、新しく作りましたし、テールピースもエンドピンも錆びていたので新品に替えました。
そのチェロを弾いて見ると音質は悪く、音量も不充分で響かず、これではコンサートでは使えないのではないかと思いました。
しかし・・チェロを残して無念の思いで旅立った洋子さんのこと、ご遺族、友人たちのお気持ちを考えると、なんとかしてこのチェロをコンサートで使えるようにしたいと思わずにはいられませんでした。
挑戦してみよう。 だめかもしれないが。
先ず、開放弦で弓のスピードを落とし、適度な圧力をかけてチェロを鳴らすことからはじめ、次は4オクターブの音階をゆっくりゆっくり1音を全弓で。 焦る心を抑え、根気よく鳴らすことを心掛けて初心者のような練習を続けました。
初めてコンサートで使ったのは2012年11月初旬、北海道磯谷郡蘭越町のパームホールでした。 確か大震災復興支援チャリティ<120>だったと思います。
結果はホールの音響がよいこともあってギリギリ合格だったと思います。 その後も使い続けましたが、病院のロビー、カフェ、お寺の本堂など残響が少ないところでは合格とはいえない不満な結果でした。
諦めるな! 自分に言い聞かせ、コツコツとこのチェロに向き合っていくうちに、チェロは応えてくれるようになりました。
札幌コンサートホールでのデビュー55周年記念コンサートでも、CD制作のための録音でも、最近ではデビュー60周年記念コンサートでも洋子さんの遺品のチェロは、立派に働いてくれるようになりました。
ダメだ、出来ない、無理だ、と思っても、諦めて投げ出さずに根気よくコツコツ取り組みを続けていると、その努力は報われるということを洋子さんの遺品のチェロは教えてくれました。
※ 2012年11月~12月、修復したチェロを使い、大船渡市内の長洞仮設住宅でコンサートを行ないました。 写真中央は、山形市から5時間かけて一人で車を運転して来られた洋子さんの娘さん、右は、発見者、簡善三郎さんの奥さん。
※ 洋子さんが犠牲になった家のあと。 国道沿いの土地に家はなく荒れ放題になっていました。
2012年9月
<今年最後の東北被災地チャリティツァー> つづく。