<宮城県女川中学校3年生の作文 ”福島県民お断り”>
- 2020/03/21
- 19:18
宮城県女川町女川中学校3年生 門馬瑠々さんの作文をご紹介させていただきます。 この作分は、2020年1月「福島の子どもたちを三重へプロジェクト実行委員会」発行の「文蛤(はまぐり)新聞」に掲載された作文で、「2016年 第36回全国中学生人権作文コンテスト宮城県大会 仙台法務局長賞」を受賞しました。
<福島県民お断り> それは福島県民の私に大きなショックを与えるものでした。
小学3年生まで、私は福島県南相馬市で生まれ育ちました。 南相馬といえば野馬追が有名で、昔からの歴史を大切にしている町です。 私は、そんな南相馬の町や人が大好きでした。
しかし5年前、東日本大震災の影響で原子力発電所が爆発し、全てが変わりました。 放射能の影響から、南相馬市は一夜にして人が住めない町になってしまいました。
この事故の影響で、私は家族と一緒に、親戚がいる栃木県に避難することになりました。
ところが、その途中に寄った店で、とても衝撃的なものを見てしまいました。 それは、駐車場に停めてあった車に、「福島県民お断り」と書かれたステッカーを貼った車があったのです。
私はそれを見て、これからのことが不安だったこともあり、「え?」と、ただただパニックになり、意味を理解したとき、悲しい気持ちになりました。
震災から5年が経過した現在でも、福島県に対する偏見はまだまだ消えていません。 それは、祖母の知人が熊本地震の際に、支援物資を届けに行ったときの事でした。
決して近いとはいえない熊本に、福島から行ったにも関わらず、「福島の物資はいらない」と現地の方々に拒否されたそうです。 現地の方々も、放射能の被害を恐れての発言だったのでしょう。
しかし、被災した方々のために、直接届けに来てくれた人に向かって、どうしてそのような心ない言葉が言えるのだろうとむなしさがこみ上げてきました。
結局、その場所では物資を受け取ってもらえず、別の場所で受け取ってもらったそうです。 この話を聞き、福島県の風評被害は今なお続いているのだと恐ろしい気持ちになりました。
同じ日本人なのに、どうして福島県から来ただけで、このようなひどい言葉をかけられなければならないのでしょうか。 私が育った町や人が否定されるならば、私の今までの人生までも否定されている気がしました。
震災後、私は自分の気持ちを人に話すことが苦手になってしまいました。 「福島県民だ」という周りの人たちの視線がとても気になったからです。
しかし、そんな私の心を、新たな出会いが変えてくれました。
つづく。