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<宮城県女川中学校3年生の作文 ”福島県民お断り”>

宮城県女川町女川中学校3年生 門馬瑠々さんの作文をご紹介させていただきます。 この作分は、2020年1月「福島の子どもたちを三重へプロジェクト実行委員会」発行の「文蛤(はまぐり)新聞」に掲載された作文で、「2016年 第36回全国中学生人権作文コンテスト宮城県大会 仙台法務局長賞」を受賞しました。


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<福島県民お断り>  それは福島県民の私に大きなショックを与えるものでした。

小学3年生まで、私は福島県南相馬市で生まれ育ちました。 南相馬といえば野馬追が有名で、昔からの歴史を大切にしている町です。 私は、そんな南相馬の町や人が大好きでした。


しかし5年前、東日本大震災の影響で原子力発電所が爆発し、全てが変わりました。 放射能の影響から、南相馬市は一夜にして人が住めない町になってしまいました。


この事故の影響で、私は家族と一緒に、親戚がいる栃木県に避難することになりました。


ところが、その途中に寄った店で、とても衝撃的なものを見てしまいました。 それは、駐車場に停めてあった車に、「福島県民お断り」と書かれたステッカーを貼った車があったのです。


私はそれを見て、これからのことが不安だったこともあり、「え?」と、ただただパニックになり、意味を理解したとき、悲しい気持ちになりました。


震災から5年が経過した現在でも、福島県に対する偏見はまだまだ消えていません。 それは、祖母の知人が熊本地震の際に、支援物資を届けに行ったときの事でした。


決して近いとはいえない熊本に、福島から行ったにも関わらず、「福島の物資はいらない」と現地の方々に拒否されたそうです。 現地の方々も、放射能の被害を恐れての発言だったのでしょう。


しかし、被災した方々のために、直接届けに来てくれた人に向かって、どうしてそのような心ない言葉が言えるのだろうとむなしさがこみ上げてきました。


結局、その場所では物資を受け取ってもらえず、別の場所で受け取ってもらったそうです。 この話を聞き、福島県の風評被害は今なお続いているのだと恐ろしい気持ちになりました。


同じ日本人なのに、どうして福島県から来ただけで、このようなひどい言葉をかけられなければならないのでしょうか。 私が育った町や人が否定されるならば、私の今までの人生までも否定されている気がしました。


震災後、私は自分の気持ちを人に話すことが苦手になってしまいました。 「福島県民だ」という周りの人たちの視線がとても気になったからです。


しかし、そんな私の心を、新たな出会いが変えてくれました。


つづく。  



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プロフィール

土田英順

Author:土田英順
土田英順【つちだ えいじゅん】
音楽家・チェリスト。
日本フィル、新日本フィル、札幌交響楽団の首席チェロ奏者を歴任。
ボストン交響楽団およびボストンポップスでも演奏(1969〜1970)。現在ソリストとして活躍中。
全国各地、19都道府県での「東日本大震災復興支援チャリティ・コンサート」は486回を数え、震災後、東北には19回訪れ、被災地でのコンサートは101回に及ぶ。
(2023年4月末現在)
被災地に滞在中、大津波の犠牲となった女性のチェロに出会い、持ち主のご遺族と友人たちの思いによってボロボロになったチェロを譲り受け、蘇らせた。
チェロの音色が天国に届く事を願いながら、今日(こんにち)も被災したチェロを奏でる。
2014年12月「第17回まちかどのフィランソロピスト賞(社会貢献)」受賞。
2015年10月「札幌芸術賞」受賞。
被災したチェロを使って録音した CD「祈り」発売。
音楽人生をまとめた著書「チェロ弾き英順 音楽の人生(たび)」出版。
第6回 全国新聞社出版協議会 ふるさと自費出版大賞において優秀賞受賞。
2017年11月 ソロプチミスト日本財団より「千嘉代子賞」受賞。
2019年10月 デビュー60周年記念チェロリサイタルを開催。
2022年4月 札幌ユネスコ協会初代広報大使に就任。

2012年12月「東日本大震災支援 じいたん子ども基金」開設。
基金は被災地の方々のために使われている。
【北洋銀行 札幌西支店 普通 5161660 口座名 東日本大震災支援 じいたん子ども基金 代表 土田英順】

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