<続・女川中3年生の作文 ”福島県民お断り”>
- 2020/03/22
- 19:06
・・・震災後、私は自分の気持ちを人に話すのが苦手になってしまいました。 「福島県民だ」という周りの人たちの視線がとても気になったからです・・・
・・・しかし、そんな私の心を、新たな出会いが変えてくれました・・・
上記は昨日のブログ、女川中3年生 門馬瑠々さんの作文 ”福島県民お断り” の最終部分、以下、その続編です。
小学校5年生の時、私は宮城県の女川町に引越してきました。 見知らぬ土地での生活はとても不安で、これからどんなことが待っているのか心配でたまりませんでした。 また「福島県民だ」と、悪者扱いでもされるのかと思っていました。
自己紹介を終えて指定された席に着くと、周りは男の子達でした。
するとその中の一人が、私に「福島から来たんでしょ?」と聞いてきました。 私はその質問にひどく動揺し、この後何か言われるのだろうかと思いました。
しかし、聞こえてきたのは私の想像するものではなく、「大変だったね」という気づかいの言葉でした。 他の子達も「友達にならない?」 「一緒に遊ぼう」など、とても優しく接してくれました。
女川町もまた、震災で大変な被害を受けました。 友人の中にも、津波で家や家族を亡くした人がたくさんいました。 それでも、明るく毎日を過ごしている友人を見て、女川の人たちの力強さを感じました。
同時に、苦しい思いをしているのは自分だとばかり主張して、ふさぎ込んでいたのが「なんだ、この人達の方が辛かったんじゃないか」と思い、自分が情けなくなりました。 女川町の人達は本当に強い人ばかりで、何度も助けられました。
私がここまでの体験で感じたこと、それは「偏見」と「共感」です。 「偏見」とは、自分の勝手なものさしで周りのものを判断することです。 相手の気持ちを無視した、とても自分勝手な行動だと思います。
皆さんは、人と関わる時、偏見を持って接することはないでしょうか。 「あの人はテストの点数が悪いから頭が悪い」や「あの人は口数が少ない人だから暗い人だ」など、ちょっとした偏見で他人を見ることは誰にでもあることだと思います。 しかし、その偏見が無意識のうちに人を傷つけるということを忘れてはならないと思います。
逆に「共感」とは、相手のことを思いやり、相手の立場に立って行動することです。 私が女川に来てから、私の心に寄り添ってくれた友人たち。 私の痛みを自分の痛みとして捉え、共に乗り越えようとしてくれたことにとても感謝しています。
だからこそ、自分もまた、傷ついている人がいたら共感し、手を差し伸べることのできる人間になりたいと思うようになりました。 私は将来、自分を救ってくれた人達のように、苦しむ人の小さな助けになりたいです。
☆ 昔からの歴史を大切にしている町、「野馬追」で全国に知られた町、南相馬。 その町や、そこに住む人が大好きだった門馬瑠々さん。 大地震、大津波、原発事故に遭ったのは小学校3年生の時でした。
二重にも、三重にも身心に大きな衝撃を受け、家族と故郷をあとにして避難先の栃木へ向かう途中、目に留まったのが「福島県民お断り」のステッカーを貼った車。 重なる衝撃。 その悲しみは如何許りかと思うと、心が痛んで余りあります。
読み始めて心が痛むこの作文ですが、彼女が5年生になって女川町へ移転し、新たな友との出会いによって、落ち込んでいた彼女が前を向くようになり、希望に目覚めていく姿に感動しました。
中学3年生とは思えないこの作文、”感動したよ! ありがとう! 門馬瑠々さん!”
※ 門馬さんがこの作文を発表したのは2016年。 4月には大学生になるのでしょうか。