<手づくりのイチゴジャム>
- 2020/07/03
- 09:08
いやはや、何ともはや美味い手づくりのイチゴジャム! こんなにも美味いジャムを口にしたのは、人生83年にして初体験です。 獲れたイチゴは宮城県亘理郡山元町産。 流石、イチゴの名産地ですな。 送ってくださったのは山元町の「みんなのとしょかん山元」と「じいたんドーム」の管理責任者、菊地慎一郎さん。
《・・さて、イチゴジャムを送ります。 砂糖しか入っておりません。 添加剤、防腐剤等一切なしです。 冷蔵庫に入れながら早く食べていただければありがたいです。 先生のお口に合うことを祈りながら・・・》
昨年12月にお会いした時、72歳と言っておられましたが、73になったのかな。 このお爺さん、小生が水洗トイレを作ろうぜ、と言ったら、大喜びしたまではよかったのですが、見積額が思っていた額の倍以上の額でしたから、小生の負担が少しでも軽くなるようにと、大工さんに教えを乞い、町の爺さん仲間7人(山元町のG7)と一緒に、基礎コンクリート工事から始めて、柱まで立ててしまいました。
それだけじゃありません。 屋根に登って貼り付け作業までやってしまったんですから。 これ、72歳の爺さんのやることかい! 滑り落ちたらどうするんだ。 命知らずの爺さんだ。
9年前、悪魔のような東日本大震災の大津波は、小さな町に住んでいた633人の命を奪い、建物も車も海へ持っていき、海岸線を走る常磐線の線路を破壊して車両を畑の中まで押し上げ、防波堤をも破壊し荒れ狂いました。
破壊された防波堤のコンクリートの破片が海底に散乱したため、名物のホッキ貝漁もお手上げ状態でお気の毒でなりません。 昨年この町を訪れた時、別な漁の方法を模索中と町の人に聞きました。
漁業が大変なら農業も。 津波の野郎、暴れるだけ暴れて畑の中にまで塩を残していきやがった。 これで農業もお手上げ状態です。 塩害の上、ヘドロまで残していった畑じゃ作物は育ちません。 広い農地の土を全部入れ替えるなんて、一朝一夕にはできるもんじゃないでしょう。
イチゴは数年前から収穫できるようになりました。 命知らずの爺さんは、大震災後、初収穫のイチゴを送ってくれたっけ。 イチゴは桁違いに大きな大きなイチゴで、桁違いの甘味にびっくりし、イチゴを頬張りながら、やっと収穫ができた山元町民の喜びは如何ばかりかと、震災後の彼らのご苦労を思うと涙がこぼれそうになりました。
命知らずの親切な爺さんはペンキ屋さん、親切と言えばこの町のおしゃべりな和尚さんも親切だ。 この2人に引き合わせてくれたのは同じ宮城県、大崎市古川の酒が好きな和尚さん。 この和尚さんに引き合わせてくれたのは、札幌の落語家、林家とんでん平師匠。 この師匠は、林家三平師匠の最後の弟子だそう。
心が通い合う人たちとの出会い、お付き合い。 いい人生だな、幸せな人生だなって思う。 でも、自分だけが幸せだなんて、それは本当の幸せじゃないんだ。 幸せは独り占めするものじゃないもん。
だから震災で被災した人たちや、家庭が貧しくて両親が共働きだったり、あるいは母子家庭のため、1人で食事をしなければならない子どもたち、その子らに心を寄せ、「こども食堂」を運営するおばさんたち、被災して進学を諦めかけた若者たち、原発事故後に甲状腺がんを発症した子どもたち、彼らに手を差し伸べる活動を続けて幸せを分かち合おう。