<拙著より、小澤征爾さんの想い出 >
- 2020/09/08
- 18:44
小生唯一の著書、「チェロ弾き英順 音楽の人生(たび)」の宣伝ブログです。 第1章<小澤征爾さんの想い出>11話の中から、<譜面台の上にはお父さんの遺影>をご紹介させて頂きます。
☆ 写真: 久しぶりの再会。 小生をしげしげと見つめた小澤さんの第一声は、《ツチダァ、オマエ瘦せたなぁ。》でした。 東京文化会館小ホールロビー。
【1980年2月上旬、知人から有効期限が2月末の札幌ー東京往復の格安割引航空券をもらいました。 僕はそのころ、東京在住の両親にしばらく会っていませんでした。 その航空券を利用して親孝行をしたかったのですが、演奏スケジュールの調整がつかず諦めました。】
【やはり虫の知らせだったのでしょうか。 有効期限が切れた翌日の3月1日に、チェリストへの道筋をつけてくれたオヤジは眠るようにこの世を去ったのです。 遠くへ旅立つ前に会えなかった無念を思うと、悲しくてたまりませんでした。】
【僕のオヤジの死は突然でしたが、小澤征爾さんのお父さんの死も突然でした。 心の準備がないままの永遠の別れは本当につらいものです。 親思いの小澤さんの悲しみは大変大きなものでした。】
【お父さんが旅立たれてから数週間後でしたでしょうか、東京・目白のカテドラル教会で、ヴェルディの大作「レクイエム」のコンサートがありました。 死者のためのミサ曲です。 演奏は日本フィルハーモニー交響楽団、指揮は小澤征爾さんでした。】
【当時、日本フィルの首席チェリストだった僕は、もちろんそのコンサートに出演しました。 小澤さんは近・現代のどんな複雑な曲でも、どんな大曲でも、隅々まで頭に入れ暗譜で指揮をするのを常としていました。】
【ところがその日、ステージに出ると、いつもは置かない譜面台が置いてありました。 「レクイエム」の演奏が始まりました。 曲が始まってまもなく、彼は涙を流し、手の甲で涙をぬぐいながら指揮を続けました。】
【一曲目が終わったとき、僕は見かねて彼にハンカチを差し出しました。 彼は黙って受け取り涙をぬぐいました。 そのときチラリと見えた譜面台の上にあったのは、楽譜ではなくやさしい眼差しでほほえんでいるお父さんの遺影でした。】
【小澤さんにとってこの「レクイエム」は、お父さんのための「レクイエム」だったのでしょう。】
※ 小澤さんの話は、第1章の11話のほかに、第2章の<ボストン交響楽団時代>でも1話、ご紹介しています。
つづく。