「今年の初フライト・東京恵比寿の楽器屋さん、ミュージックプラザに到着」の続編です。
小生をチェロ弾きとして育ててくれて、家族も養ってくれたニコロ・ガリアノ作のチェロが、小生の下にきてから40年ぐらいになるでしょうか。
ニコロは、クレモナの巨匠・ストラディバリウスの工房で仕事をしていた、アレッサンドロ・ガリアノの息子です。 アレッサンドロがナポリに帰郷後、数代続いたガリアノ一族の数多い職人の中で、ニコロは2代目で、最も腕の立つ職人として定評のある人です。
そのチェロが小生の下へきてから、小生が住む札幌でのコンサートは勿論、北海道の何処へでも、東京へも沖縄へも、日本国内の何処へでも、韓国やサハリンへも連れていき、ニコロはいつどこへ行っても、小生の期待に応える音色を響かせてくれました。
サハリンの劇場で
しかし、東日本大震災が発生し、震災後初めて訪れた東北の被災地、岩手県大船渡市で被災したチェロに出会い、亡くなったチェロの持ち主のご遺族や、友人らの願いで遺品のチェロを使うようになって、ニコロの出番がめっきり少なくなりました。
遺品のチェロの持ち主、舩渡洋子さんがチェロを残して旅立ったのは74歳の時。 山形市に嫁いだ娘さんの山口由香さんは、小生がお母さんのチェロを使って大船渡でコンサートをやると、山形から5時間の道のりを1人で運転して聴きにこられました。
その後、山形から函館に移転した彼女は、小生が「函館美術館」や、函館山の頂上にある「クレモナホール」でのコンサートでも、客席には彼女のお姿がありました。
また、函館在住の医師の息子さんは、「遺愛学園講堂」でのコンサートに花束を持って、奥さんと、お子さんを連れてお見えになりました。
震災後、毎年コンサートを行なっている、仙台に近い大崎市古川の「吉野作造記念館」には、仙台にお住まいの姪御さんとお母さんが聴きに来てくださいます。
洋子さんとそのチェロは、ご遺族の皆さんに愛されているのです。
出番が少なくなってしまったニコロには申し訳ないと思いながら、小生は洋子さんの遺品のチェロを使うことに喜びを感じていました。
そうした中で、今後、ニコロに活躍してもらうにはどうしたらよいだろう、と、ずっと考えていました。 よいチェロを探していてもなかなか出会えない、優秀な若いチェロ弾きがいるはずです。 そのうちの誰かに譲った方が、ニコロのためにも、将来性のあるチェロ弾きにとってもよいのではないか、と考えるようになりました。
「会うは別れの始まり」と言っても別れは辛いもの。 なかなか決断実行できずにいましたが、先月、東京恵比寿の楽器屋さん、「ミュージックプラザ」へ持って行き、ニコロに別れを告げました。
10月28日、ミュージックプラザに到着 ” ニコロ、お別れだ、寂しいよ。”
店内に入り、受付へ 寂しい
社長さんを待つ間も、寂しさでいっぱい
社長さん、入念なチェック 上の階には製作・修理工房があり、職人さんも立会いました。
合格!
小生は涙をこらえてサインしました。
別れ。ニコロ、ごめんね。
ニコロ! 長い間ありがとう。 オレはオマエのおかげで長く演奏を続けることができた。 いくら感謝しても感謝しきれない。 新しい主の下でオマエが持っている音、「ニコロの音」を響かせてくれ。 オレも年寄りだが、オマエはオレの3倍ぐらい年寄りだ。 身体に気をつけるんだぞ。 達者でな。
東日本大震災復興支援のために 「じいたん子ども基金」を開設しました。
(2012年12月10日)
【東日本大震災支援 じいたん子ども基金】 代表 土田英順
北洋銀行 札幌西支店 普通 5161660