東日本大震災復興支援活動歴10年。 その間チェロを抱えて17都道府県を訪れました。 勿論、東北被災3県にも。 こちらには17回も。 そこでは、最初のうちはチェロ弾きと被災者の関係だったのが、何度か足を運んでチェロを弾いているうちに、友情が芽生え、友の間柄になった人もおられます。
福島県内には放射能で汚染され、国から支給される補償金の不公平感が原因で、住民が分断してしまった地域もあります。 福島県伊達市の一地区も然り。 小生は、その地にお住まいのKさんご家族と親しい間柄になりました。
ある日のこと、伊達市の小学校で子どもたちのために、チェロを弾きました。 その小学校の校庭には、大きな穴が掘られ、袋に詰めた放射能汚染物が埋められていました。 また、子どもたちは通学路が汚染している所もあるので、被ばくしないように徒歩通学が禁じられていて可哀想でなりませんでした。 子どもたちがチェロの音色を楽しみ、子どもが喜びそうな面白い話を聞いてもらい、少しでも元気になってくれればいいな・・と思い小学校へ行ったのです。
コンサートは午前中でしたが、Kさんは仕事を休んで、朝、小生が滞在中のホテル、福島駅西口の東横インへ迎えに来てくださいました。
子どものコンサートはお昼でオシマイ。 小生、その日はそのコンサートだけでお役御免でした。 それを知ったkさんは、レストランでビール付きの昼食をご馳走してくださり、福島県の沿岸部、浜通りと呼ばれる地区を案内してくださいました。
原発事故の影響をもろに受けた大熊町、双葉町、浪江町、富岡町・・・酷かった! まるで廃墟のような所も。 津波に襲われ破壊された家は、そのままになっていました。 家の持ち主が津波の犠牲になったのか、どこかへ移住したのか居場所が分からず連絡がとれないので、壊れた家でも持ち主の了解なしには処分ができないのだそうです。
津波に襲われて破壊されたままの家 JR常磐線 富岡駅前商店街 2018年10月23日
富岡町から北へ向かい、双葉町、浪江町、南相馬を過ぎて相馬市へ。 夏の祭り、「馬追」は全国的に有名です。
この町は今も城が残る城下町。 何故か町内の道路の曲がり角は数ヵ所が直角になっています。
敵が攻めて来たときに曲がり角に隠れて待ち伏せし、突然飛び出して逆襲する。 町の通りは昔のままなのですね。
Kさんは吞兵衛ですから、小生とウマが合います。 飲むのにちょうどよい時間になりました。
「何もありませんが、家で一杯やりましょう。」
Kさんは奥さんと娘さんの3人暮らし。 家に着くとテーブルには旨そうな酒、一升瓶がドカンと置いてあり、ご馳走が並べてありました。
娘さんのMさんはその時、30歳で独身。 お父さんの血をひいて酒が大好きで、2人で晩酌をやるそうです。父娘で酒を仲良く飲むなんていいですね。 羨ましいです。
愛すべきファミリーですが、1昨年は伊達に行く機会がなく、昨年はコロナで海を渡ることがありませんでした。 小生は、元気な姿を見ていただこうと思い、1昨年秋に開催したデビュー60周年記念コンサートのCD、DVDと自著を送りました。
数日後、手紙を添えて、福島の果物が届きました。 蜜がたっぷりの密入りリンゴです。
福島名産の「あんぽ柿」も。
「・・・CD、DVD、それに本を拝聴、拝見、拝読しました。 土田さんのこれまでの音楽家人生にブラボー! それにまして、一人の人間としてもブラボー! 久しぶりに土田さんのお姿を拝見し、その音色にやさしさと温もりを感じました。・・・ また是非お立ち寄りください。 家内と娘と待っております。」
友は宝! 素晴らしい友、素晴らしいファミリーに出会えて本当に幸せだ。 会いに行きたい! コロナめ! さっさとどっかへ失せろ!
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東日本大震災復興支援のために 「じいたん子ども基金」を開設しました。
(2012年12月10日)
【東日本大震災支援 じいたん子ども基金】 代表 土田英順
北洋銀行 札幌西支店 普通 5161660