言葉は時代の流れとともに変わっていくもんですかね。 東京に住んでいた若い頃は「暴力団」とは言わず、「愚連隊(グレンタイ)」と呼んでいました。 「ヤバイ」は「愚連隊」の人が使う言葉で一般の人は使いませんでした。 今じゃ、スーツにネクタイ姿で紳士風な人も、女性も「ヤバイ」を使いますがね。 あちらこちらから「愚連隊語」が聞こえてくる時代になりました。
学友の中にはちょいと不良っぽい奴がいて、(これをトッポイ奴と呼んだ)、女子学生の興味を惹こうと「ヤバイ」を連発して、逆に嫌われたりしたもんです。
電話が一般家庭に普及したのも、一貫(当時は尺貫法でした)ぐらいの氷を、冷蔵庫内の上部に置いて冷やしていた冷蔵庫が電化になったのも、テレビが家庭に入ってきたのも小生が高校生の頃。 前世紀の遺物みたいな年寄りの「たわ言」と思ってお読みください。
以下は宮城県亘理郡山元町の「震災遺構・中浜小学校」のお話。
2011年3月11日、大津波に襲われた全校児童50名と、教職員・保護者合わせて90名が、校舎の上の階の一室に避難して全員が無事でした。
小生は先月そこを訪れ、震災時、山元町坂元中学校校長だった渡邉裕之さんのお話を伺いながら見学しました。 見学ガイドと見学者が一対一。 贅沢な見学でした。
小生は90名が避難した場所も見ました。 下の写真です。 ご覧の通り、斜めの「屋根の下」にある屋根裏の倉庫のような、屋根裏部屋のような場所でした。
しかし、受付で頂いたパンフレットには、避難した場所は「屋上」と書かれています。 ん? ここが屋上?
広辞苑で「屋上」を見ると「屋根の上」とありました。 また「特に洋風の建物の上に設けた、人の出入ができる平らな場所」とも。
そこは上の階にありました。 家屋の上部ですから、屋根の下でも「屋上」? う~~ん。 時代の流れで言葉は変わる? でも変だと思う。
「屋上庭園」で、青空の下、盆栽展や花市を開催したり、「屋上ビアガーデン」で、涼を求めて集まってきた吞兵衛がジョッキーを傾ける。 小生、「屋上」って聞くと頭に浮かぶのはそんな感じですから、屋根裏部屋が屋上と言われても合点がいきません。 スッキリしませんなぁ。
しつこい小生は、山元町の友に電話で聞いて見ることにしました。
《えっ、屋上に避難したって書いてある? それ間違ってる!》 震災遺構に関わった人を知っているから聞いてみる・・と。
数分後、電話がありました。
《先生、屋上でいいんだそうですよ。》
屋根の上に「屋根裏の倉庫」を作ったのだそう。 建物のメンテナンスで。
《屋上の上に屋上を作ったんです。 ウヮッハッハッハッ。》
東日本大震災復興支援のために 「じいたん子ども基金」を開設しました。
(2012年12月10日)
【東日本大震災支援 じいたん子ども基金】 代表 土田英順
北洋銀行 札幌西支店 普通 5161660