双葉町で。 町に数台しかないタクシーは、すべて予約済みで利用できませんでした。 仕方がない。 帰りの電車の時間まで町の中を歩くことにしました。 駅から海岸までの間には国道6号線が通っていますが、津波は国道まで到達し、その先は駅を含めて津波の被害はありませんでした。
地震で損壊した駅舎は建て直して立派になりましたが、駅前の商店やガソリンスタンドなど、地震の被害はひどく、復興へは遠い道のりで悲しくなりました。
原発事故により、双葉町は全域が帰還困難区域に指定されていましたが、一部が解除されたのは昨年8月です。 それまでの11年間、町に住民はおらず、損壊した家屋など放置されたままだったのです。
新聞報道によれば、双葉町の人口約7000人のうち、帰還者は僅か60人。(3月27日、北海道新聞) 60人のうち20~30人は町役場の職員です。 帰還した一般の人は30~40人。 それも年金生活者ばかり。 学校はないし、コンビニも一軒もありません。 未だに故郷、双葉町に帰らぬ町民6000人以上。
復興は、想像していた以上に程遠い状態で悲しくなり、心はズキズキ痛むようでした。
原発が日本で初めて稼働したのは1963年。 茨城県東海村で。 その時から核のゴミは出続けて60年。 未だに最終処分場がありません。 汚染水は溜まりに溜まって置き場がなくなり、薄めて海に放出するそう。 いわき放射能市民測定室の「たらちね活動報告書」(2022年2月発行)によりますと、「汚染水は海水で薄めても、流す総量は変わりません。 25mプール110杯分の汚染水を毎日、30年以上流し続ける計画です。」
今がよければよい・・ではなく、将来を考えた時、原発政策はこのままでよいのだろうか・・ 帰りの電車の中でも、機上の人となっても双葉町で見聞したことが頭から離れませんでした。
<山元町で東日本大震災追悼行事> おわり。
東日本大震災復興支援のために 「じいたん子ども基金」を開設しました。
(2012年12月10日)
【東日本大震災支援 じいたん子ども基金】 代表 土田英順
北洋銀行 札幌西支店 普通 5161660